近くの史跡「日上山城跡」を歩いてみました。残念ながら、お城らしきものは何も残されていませんが、お城が建っていた地形は保存されています。
県道392号から30分もかからずに往復できますので、歴史にロマンを感じる方はぜひ行ってみてください。
文明15年(1483年)頃に小瀬氏によって築城。城主は小瀬勘兵衛政秀、長子・小瀬秀正(中務)。
地理院地図によると標高280mと比較的低い位置にあった山城です。
門扉
入り口には立派な門扉があります。
立ち入り禁止ではありませんので、自由に開閉して入場してください。
また、数百メートル先の城跡付近まで車で行くこともできます。今の時期は落葉が多くて路面の状態がわからないので、大きめの石や木の枝に注意してください。
栗も沢山落ちていましたが、すべて空っぽでした。栗ご飯になっているのかも( ̄▽ ̄;)。
また、門の前に駐車される場合は、農道を塞がないようにお願いいたします。
地形
門からすぐのところに案内板があります。
「日上山を守る会」というボランティアの方々によって自然保護の一環で整備されているようです。お城自体は自然に還ってしまっているから納得。
地図の赤い印は現在地です。
用語
竪堀(たてほり)
山の斜面を縦に掘った堀のこと。
高矢倉(たかやぐら)
高いところに築いた武器庫のこと。
曲輪(くるわ)
一定の範囲で区切ったスペースのこと。
腰曲輪(こしぐるわ)
主郭(一曲輪)の腰部にある曲輪のこと。
帯曲輪(おびぐるわ)
帯状になっている曲輪のこと。
堀切(ほりぎり)
尾根を切断した堀のこと。
水の手(みずのて)
飲み水の供給源。
土塁(どるい)
土手のこと。
主郭(しゅかく)
本丸、一番偉い人がいるところ。
物見(ものみ)
遠くを見渡す監視塔
道は整備されていて、バラスが敷かれています。二つ目の案内板までは車で行くことができますが、路面には十分注意してください!
まず地図の高矢倉の方に行こうと思って迷いました。たぶんこっちの奥の方だろうなーと思いつつ、倒木に阻まれているので主郭の方へ。
シーンとしているので、鳥が飛び立つ度にビビります。
主郭の方は三方向に分岐していますが、水の手と二曲輪はほんの十数メートル先です。
水の手
立て札も何も無いので、この場所が本当に「水の手」なのかは不明。ここだけ水溜まりがあって、大きな石がゴロゴロあるのでたぶんここって感じです。
このジブリ感、主郭からの眺めに次ぐハイライトです。
ここを水の手だと思わずに先に進むと、果てしなく山道が続いているので気を付けてください!
二曲輪と土塁
二曲輪は主郭の次に重要な拠点があった場所です。今はやや開けた平坦な土地ってだけで、特に何もありません。
土塁の立て札があるので、堀を掘った土を盛ってその上に拠点を築いたみたいです。
腰曲輪
主郭(一曲輪)方面へ向かうと、やや急な登り坂になっています。
登ってすぐ、主郭から一段下の腰の部分にあたる腰曲輪があります。
また、曲輪の中央には空っぽの祠がありました。後で検索すると十数年前までは「日上山神社」という立て札があったようです。
主郭と物見
もう一段上がって主郭のあった場所は流石に一番見晴らしが良いです!
標柱は折れて、木に立て掛けられていました( ̄▽ ̄;)。その横には腐りかけの木のベンチも設置されています。
中央の小さな白い立て札には物見台と書かれています。ここから攻めてくる敵を見張っていたみたいです。
主郭からの眺め
北側の景色です。眼下に周辺の集落が見下ろせて、かなり遠くの山々まで見渡せます。
当時は建物も築かれていたと思うので、さらに見晴らしが良かったと思います。
反面、南側は木が生い茂っていて見通しが悪いです。これはベンチの上に立って撮った写真です。
最後は日上山城の先っぽ、東側(県道側)の堀切です。堀切があるということは、この急な斜面から攻めてくる敵もいたのかも。
日上山城主と小瀬甫庵翁
ところで、日上山城に近い県道沿いには小瀬甫庵翁の立派な石碑があります。太閤記の著者としての略歴が書かれていますが、現在では日上山城主の小瀬秀正と小瀬甫庵は無関係とされています。
新しい発見で史実が変わることはよくあるので、まあ史実に関係なく年2回石碑周りの草刈りをしています…(´;ω;`)ウッ…。
この記事では、鏡野町の史跡「日上山城跡」をご紹介しました。ざっと見るだけなら30分もかからないので、散歩コースにはピッタリだと思います。
ただ、思ったより笹が多くて歩きにくいので、主郭まで行かれる方はしっかりした靴を履いていってください!